2025/08/29 12:47

2024.07.29.



白峰の小さな町に車を停めて少し坂を登ると、存在感のある大きなお寺があって、気軽には入れないような雰囲気です。名前は林西寺。奈良時代717年に白山を開山した越の大徳、越前は現在の福井県で神童と言われ自ら修行を積んでいた高僧泰澄が、後に開いたお寺と伝えられています。


白山に調査に訪れた地理学者のライン博士が、登山中、山頂付近にあった十一面観音菩薩など要所に置かれていた像が、明治政府の神仏分離の令によりまさに山から下されているところ目撃していたのはなんという偶然。その時のことを『ライン博士の1874年日本旅行』にとてもドラマチックに記しています。その下山仏数体が廃棄されることなく、現在もこのお寺に安置されています。



J.J.ライン著『ライン博士の1874年日本旅行』“Dr. J. Rein’s Reise in Nippon, 1874” (Rein, 1875)邦訳より

 白山はこの国のほかのさまざまな高山と同じように有名な霊場であり、100 年前から頂上の 3 つの寺のなかには釈迦(釈迦牟尼ゴータマ・ブッダ)のほぼ等身大の銅像が収められていた。7 月 6 日の夜から 7 日に、金沢の何人かの役人と2人の神官が80人の人夫とともに白山に登り、仏教の勤めを終わりにし、釈迦〔の銅像〕を引きおろし、そしてその場所に帝みかど〔明治天皇〕と役人たち 〔明治政府〕から託された神道祭祀のための丸い鏡を置いた。しかし、一般の民はきらびやかな仏教を敬うことに変わりはなかった。午後、役人たち一行は主要な寺から釈迦〔の銅像〕を400 フィート低いところに設けられた板張り小屋に運んだが、そこに霰混じりの嵐が襲って来て、その後の作業はすべて不可能になり、一行は目的を達 せずに帰った。嵐は釈迦に対するこのような無法 に仕返しをした神々の怒りの印であった。そして すべての仏教徒、すなわち谷に暮らす一般の住民は、いまやこの豪雨の原因を、そしてなぜ数週間前に突然彗星が出現したのかも理解した。



不思議に思って、かさねさんとの前の初登山の後に手に取ったのは、前田速夫著『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』。

著者の前田速夫氏は、民俗研究者で、泰澄太子と同じ福井県出身。雑誌「新潮」の元編集長だった方が退職後に書いたものです。情報量が多く、引用文献もすごいのですが、気になる謎は深まるばかりでクラクラする一冊です。どの章も教科書にはない驚きがあってとても面白いです。

かさねさんは以前、円空の取材に仕事で行かれたことがあるということで、それじゃあと、「白山神の前身であるシラヤマ神が日本列島の原住民⁈ が祀った神である」って仮説があるそうでと、目眩をしながら読んだ時の記憶をおぼろげに話しながら歩いていました。


山の奥深くに、豊かな温泉とかつて人が行き交っていた様子が伺える宿場の数々、こうして長い間人が住むには何かわけがありそうだよねと。


そして雰囲気のよい小さなとち餅屋さんに寄りました。


J. J. ライン著「ライン博士の 1874 年日本旅行」邦訳 山 田 直 利* 矢 島 道 子**

前田速夫著『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』(2006)